冬は必ず春となる

苦難にあっても信じきり祈りきることで必ず道は開かれる

看取り

いろいろなことがありました。

 

父の介護認定の結果が出ました。

希望通りの介護認定3。

これで特養の申し込みを継続できる。

結果を見たときには「ありがとうございます」と泣いてしまいました。

 

 

そして、母の病院へ様子をみに行ったら寝ていて、何度、動かしても起きない状態でした。

看護師さんに「母が揺り動かしてもぜんぜん起きないんです」と言って

看護師さんが母の口腔ケアをしたら目が覚めました。

でも目を空けている力はなく、すぐに目を閉じてしまう状態でした。

 

その状態を見て、「もうダメなのかな?」と涙が止まらなくなり、兄弟にメールで知らせました。

 

数日後、母の病院から電話が来て「痰が多い状態、お茶を飲ませてみましたがむせてしまいます。栄養摂取はどうお考えですか?胃ろうをお考えですか?」とのこと。

 

元気にお喋りできる状態なら胃ろうもあるかもしれませんが、すぐに目を閉じてしまう状態ですし、胃ろうの手術をする考えはありませんでした。

 

「では看取りと言うことでよいですか?」と先生に言われ

「はい。よろしくお願いします。」と答えました。

 

「胃ろうはしない」この選択は今、同じことを言われてもきっと同じ答えを出すと思います。

 

でも1つだけ今思うことは、「もう一度だけお茶を飲ませてみてもらえばよかったかな?」と思ったりもします。

それで嚥下が出来たなら、自分で食事が飲み込めれば、ひょっとして…なんて思ったりもします。

 

 

それから、何度か会いに行きました。

 

好きだった菅原洋一尾崎紀世彦の歌を聞かせたり、手を握ってトントントンとやると母もトントントン、二人でずっとトントントンとリズムで話をしていました。

 

兄と妹も会いに行ったようです。

 

父も私が連れて行きました。

行くと母は寝ていて起きません。

しばらくするとオムツを取り換える時間になり、それが終わると起きていました。

 

「お父さんを連れてきたよ。」と言うとうなずき「ちょっと待って」と言うとうなずきました。

父をベッドの脇に連れて行きました。

 

何をどう喋ってよいのか迷うシーンです。

「お天気がよかったから会いに来たよ」と父が母に話しかけていました。

最初はうなずいていた母でしたが、すぐに顔の向きを変えてしまいました。

 

心の中は寂しかったのか、辛かったのか、何を思っていたのかは、わかりません。

 

そして、また夢の中へ。

 

でも、これがギリギリでした。

数日後、私が行ったときには、もう寝ていて起きませんでした。

「父が来るのを待っていたのかな?」と思いました。

 

家族それぞれが会いに行ったところで母は旅立ちました。

兄弟で葬儀のだいたいの感じを打ち合わせし、葬儀屋さんに不安なことを電話で問い合わせし、不安が解消したところで病院から電話があり「あまり反応が無くなり、酸素マスクをしています」と連絡がありました。

 

葬儀などやったことが無い子供たちに、母が時間をくれたのだと思っています。