お母さんありがとう
2019.2.8 11:24am の記事 母が亡くなった頃の記事
母が亡くなりました。
母の晩年、介護を通していろいろなことを経験させてもらいました。
施設の生活相談員からハラスメントを受け、嫌がらせや電話で毎回怒鳴られても、母を守るために我慢するなど、人や世間や介護制度の理不尽さを経験し、その反対に手を差し伸べてくれた病院の方たちの優しさを何倍もありがたく感じることができました。
この国の介護制度はかなり遅れていて、健康でないお年寄りの居場所を確保することがかなり困難です。
その病院により母の病状が、かなり改善され寿命が延びたと感謝しています。
お陰様で、母と穏やかな時間を過ごすことができ、話をしたり、病院のプログラムに参加し、一緒にクイズをしたり体操をしたり歌を歌ったりと楽しい思い出を沢山作ることができました。
電車やバスを乗り継いでの往復3時間、父の介護も始まって母の病院へ行ってからその足でさらに1時間半、実家や父の入院先の病院へ、そして両親の代わりに区役所などへ手続きに走り回っていました。
母の介護を通していろいろなことを知りました。
両親はいつも夫婦喧嘩が絶えず、仲の悪い夫婦だとばかり思っていましたが、実際は違っていました。
お互いに思いやり、深い愛情で結ばれていた夫婦だったのです。
私は長女で母から何をするのも制限され、それにいつも反発していたため、母からあまり好まれていないとばかり思っていました。
でも、それも違っていて、母の愛情に自分が気が付いていないだけだったのです。
母の介護が始まり、母と共有の時間が増えるにつれて母の愛情の深さや母の強さを知ることができました。
お母さん、苦労して育ててくれて、大人になってもたくさんの愛情を注いでくれてありがとう。
父の日
2019.6.17 7:29pmの記事 父が老健に入っていた時の記事
少し遅めの父の日と言うことで、父とデートしてきました( *´艸`)
ショッピングモールの中のレストラン街を歩いて、父が選んだお蕎麦屋さんに入店。
天婦羅そばを注文しました。
お蕎麦が大好きな父はご満悦。
お蕎麦も美味しいし、天婦羅もサクサクだって喜んでいました。
天婦羅多めで父は食べきれず、「これ食べて!」と言うので、自分の分でお腹がいっぱいだったけど、父の天婦羅3つも美味しくいただきました。(*^^*)
その後は周辺をお散歩したりベンチに座ってボーっとして、ゆっくり過ごし、アイスを食べたりコーヒーを飲んだり。
コーヒーは少ししか飲まなかったけどアイスは美味しい美味しいと言って喜んでいました。
ペットショップではワンちゃん猫ちゃん、熱帯魚にオウムにハムスターを見て回り…動物を見るとやはり笑顔が出ますね。(*^^*)
施設に帰って介護士さんに「何を食べましたか?」と聞かれたので父に「何を食べたっけ?」と聞いたら、もう忘れてる(;^_^A
あんなに「美味しい」って言ってたのに(笑)
私は父の分も天婦羅を食べて、夜になってもお腹が空きません(笑)(;^_^A
でも、親子で楽しく、良い時間が持てました。
東京江戸博物館見学にて。。
2018.9.18 父が入院しているの時の記事
upするのが遅くなりましたが、夏休みは台風で、どこも荒れ模様のお天気だから…ということで
あまり遠出はせずに、美味しいものを食べたりしてリフレッシュしていましたよ。( *´艸`)
ショッピングモールでランチしたリ♪
居酒屋さんでお食事したり♪ (←お酒が飲めないから)
美味しいものをいっぱいいただいて、とても満足でした(笑) ( *´艸`)
前から行ってみたかった両国の東京江戸博物館にも行きましたよ。
サロンが定休日の月曜日は、博物館や美術館、お店なんかも結構、お休みのところが多くて
なかなか行けないことが多いのです。
東京江戸博物館には江戸の人たちの暮らしぶりが、わかりやすく展示してありました。
これはお寿司の屋台。
以前見た、浮世絵の中のお寿司の屋台を思い出します。
とても広くて、じっくり見ていたら3時間くらいかかりましたよ。
外国の方も多く見学にいらしていました。
江戸から東京への移り変わりまでも、わかりやすく展示していました。
やはり見たことのない「江戸」よりも「東京」を見てしまうと、そちらの印象が強く残ってしまいます(笑)
実家に似た作りの、家の中の様子。
電化製品や懐かしいアイテムたち。
展示していた学校の給食は、当時私が食べていたものとは違っていたので、それが残念でしたけど(笑) 懐かしい時代にホッコリでした。 (*^^*)
それから何よりも印象深かったのが、第二次世界大戦の東京大空襲でB29から雨のように落とされる、すごい数の焼夷弾の映像。
その空襲によって焼けた地域が真っ赤に表示されると、その中を自分の親が命からがら逃げ回っていた様子が頭に浮かび、戦争の悲惨さが理解できました。
親が逃げ回っている様子を思い浮かべて、恐ろしい戦争を疑似体験しているような気持ちになったのです。
この中を良く親が生きていてくれたな!と思いました。
子供だった父は空襲の時に母親と逃げていて、そこを消防車が分けて入り母親を見失ったのです。
空襲の話は1度しか聞いたことがありません。
父は荒川を泳いで逃げたそうです。
目を火傷して、赤ちゃんのいる女性からお乳を貰って目にさし火傷を癒したそうです。
大変な思いをしながら両親が生きぬいてくれたからこそ今の自分がいるのです。
感謝の気持ちが湧いてきました。
博物館を出るころにはすっかり江戸が頭から離れてしまったけれど、懐かしい思いもし、平和のありがたさや、親への感謝など、いろいろ考えさせられた博物館見学でした。
東京江戸博物館見学にて。。
2018.9.18 父が入院しているの時の記事
upするのが遅くなりましたが、夏休みは台風で、どこも荒れ模様のお天気だから…ということで
あまり遠出はせずに、美味しいものを食べたりしてリフレッシュしていましたよ。( *´艸`)
ショッピングモールでランチしたリ♪
居酒屋さんでお食事したり♪ (←お酒が飲めないから)
美味しいものをいっぱいいただいて、とても満足でした(笑) ( *´艸`)
前から行ってみたかった両国の東京江戸博物館にも行きましたよ。
サロンが定休日の月曜日は、博物館や美術館、お店なんかも結構、お休みのところが多くて
なかなか行けないことが多いのです。
東京江戸博物館には江戸の人たちの暮らしぶりが、わかりやすく展示してありました。
これはお寿司の屋台。
以前見た、浮世絵の中のお寿司の屋台を思い出します。
とても広くて、じっくり見ていたら3時間くらいかかりましたよ。
外国の方も多く見学にいらしていました。
江戸から東京への移り変わりまでも、わかりやすく展示していました。
やはり見たことのない「江戸」よりも「東京」を見てしまうと、そちらの印象が強く残ってしまいます(笑)
実家に似た作りの、家の中の様子。
電化製品や懐かしいアイテムたち。
展示していた学校の給食は、当時私が食べていたものとは違っていたので、それが残念でしたけど(笑) 懐かしい時代にホッコリでした。 (*^^*)
それから何よりも印象深かったのが、第二次世界大戦の東京大空襲でB29から雨のように落とされる、すごい数の焼夷弾の映像。
その空襲によって焼けた地域が真っ赤に表示されると、その中を自分の親が命からがら逃げ回っていた様子が頭に浮かび、戦争の悲惨さが理解できました。
親が逃げ回っている様子を思い浮かべて、恐ろしい戦争を疑似体験しているような気持ちになったのです。
この中を良く親が生きていてくれたな!と思いました。
子供だった父は空襲の時に母親と逃げていて、そこを消防車が分けて入り母親を見失ったのです。
空襲の話は1度しか聞いたことがありません。
父は荒川を泳いで逃げたそうです。
目を火傷して、赤ちゃんのいる女性からお乳を貰って目にさし火傷を癒したそうです。
大変な思いをしながら両親が生きぬいてくれたからこそ今の自分がいるのです。
感謝の気持ちが湧いてきました。
博物館を出るころにはすっかり江戸が頭から離れてしまったけれど、懐かしい思いもし、平和のありがたさや、親への感謝など、いろいろ考えさせられた博物館見学でした。
娘の役目を終え、友達と逢う
2019.11の記事
休日に友達と久しぶりにランチしてきました。
両親の介護を経て両親をおくり、娘としての役目を終えたタイミングで、声をかけてくれたことに嬉しく思いながら行ってきました。
前回、会ったのは、母が元気に施設で暮らし始め、「私も、これから少し自分の時間が持てるかな?」と思い始めたころだったから、2年半は経ってしまっていますね。
その後、その施設で大変な思いをするとは思いもしなかった時でした(笑)
2人の行きやすい駅ということで、秋葉原駅周辺で友達がいくつかお店を探してくれたので、その中からお店を選んで!
ここで気が付いたことが。。
ここ何年も、親の人生を決める難しい選択を、自分で情報収集し、自分で考え、行動したり、兄弟に指示して進めてきたのですが、なんと私の友達は皆、なんというか、ありがたいことに何も言わなくてもお店を探してきてくれる。
前回の別の友達とのランチの時もそうでした。
そんな恵まれた環境に子供のころから私はいたんだな!気が付かなかったけれど。
いろんなことで疲れている脳には安らぎになります。
何事も当たり前に思わずに小さなことにも気が付いて、感謝できる人でいたいですね。
お店を見つけるのに秋葉原で道に迷う、迷う(笑)
でも、そんなことだって楽しい!
ランチメニューはサラダとスープとパスタのセットで、ランチドリンクでコーヒーを付けました。
パスタは3種類から選べます。
ベーコンと小松菜のカルボナーラは、ガツンとニンニクきつめ(笑)、具がたっぷりで美味しかったです♪
友達は本当は用事があったそうですが、それが無くなりフッと時間が出来、その時に、「そうだ、この日ならyakoも休みだし誘ってみよう!」と思ってくれたそうです。
離れていても、なかなか会えなくても、ふとした時に思い出してくれたり、心配してくれたり、そういう友達がいるということがありがたいです。
ランチの話題は、年齢的にどうしても親の話になりますね。(笑)
私の両親は2人ともお星さまになったので、残るのは感謝のみ。
親との関わり合いで親が元気なうちは元気なうちで、介護が必要になれば、その段階段階でいろいろな関りや考えがでてくるもの。
友達がどうしても食べたかったというデザートピザ♪
栗とナッツとクリームとアイスクリーム、パウダーシュガー。
焼く時間があるから、出てくる時間がなかなか読めないみたいでしたが、パスタが食べ終わる段階の絶妙なタイミングで出してくれました。
もちろん焼きたてなので、とても美味しかったです。
その後は、ちょこっと駅ビルの中を見て回り、「じゃあ、またね」と言って帰ってきました。
こうして会えるのは健康だからこそ、元気だからこそ、当たり前ではありません。
親の介護を経て、学んだことは「やりたいことはやる!」
母も晩年言っていた「やりたいことは何でもやった方が良いよ!」これは母の実感だったと思いますから。
トシちゃんや趣味もそうだし、会いたい人にはできる限り会いに行く!
ずっと会えていない人もいるから相手の考え方や都合もあるけれど、会いたい人にはなるべく会いに行く時間を作りたいです。
だって親を見て実感したことは、自分の足で元気に動ける時間は限られているっていうことなんですから。
電車に乗ってバスに乗って会いたい人に会いに行ける時間は、永遠じゃないんですよ。
トシちゃんにも会いに行くし、友達にも会いに行きたいです。
そして夫婦だって家族だって、一生一緒にいられるとは限らない。
両親の晩年は東京と埼玉の離れ離れの生活でした。
夫婦の時間、家族の時間だって貴重なんですよね。
そういう1つ1つが当たり前ではないということ。
感謝の気持ちでいれば、幸せをたくさん感じることが出来るということ。
お母さん、ありがとう。
2019.2.8
母が亡くなりました。
母の晩年、介護を通していろいろなことを経験させてもらいました。
施設の生活相談員からハラスメントを受け、嫌がらせや電話で毎回怒鳴られても、母を守るために我慢するなど、人や世間や介護制度の理不尽さを経験し、その反対に手を差し伸べてくれた病院の方たちの優しさを何倍もありがたく感じることができました。
この国の介護制度はかなり遅れていて、健康でないお年寄りの居場所を確保することがかなり困難です。
その病院により母の病状が、かなり改善され寿命が延びたと感謝しています。
お陰様で、母と穏やかな時間を過ごすことができ、話をしたり、病院のプログラムに参加し、一緒にクイズをしたり体操をしたり歌を歌ったりと楽しい思い出を沢山作ることができました。
電車やバスを乗り継いでの往復3時間、父の介護も始まって母の病院へ行ってからその足でさらに1時間半、実家や父の入院先の病院へ、そして両親の代わりに区役所などへ手続きに走り回っていました。
母の介護を通していろいろなことを知りました。
両親はいつも夫婦喧嘩が絶えず、仲の悪い夫婦だとばかり思っていましたが、実際は違っていました。
お互いに思いやり、深い愛情で結ばれていた夫婦だったのです。
私は長女で母から何をするのも制限され、それにいつも反発していたため、母からあまり好まれていないとばかり思っていました。
でも、それも違っていて、母の愛情に自分が気が付いていないだけだったのです。
母の介護が始まり、母と共有の時間が増えるにつれて母の愛情の深さや母の強さを知ることができました。
お母さん、苦労して育ててくれて、大人になってもたくさんの愛情を注いでくれてありがとう。
母の味に挑戦!ミートソース
2019.2.27
子供のころ、母が昼食によく作ってくれたスパゲッティミートソースが食べたくなりました。
昔はパスタなんて言わずにスパゲッティって言いましたよね。
パスタはイタリアの麺のことを言うらしく、スパゲッティやマカロニがこれに含まれるようです。
母の味の記憶をたどって見た目も香りも、母のと同じように出来ました。
味見をしてみると、「あれ?なんか違うような?」
これはまた作らないとね。
母の味に近くなるように。
でもね。お母さんのおにぎりもお味噌汁も、私に同じ味は再現できない。
それは実家にいた時からずっと不思議に思っていたことなんです。
お味噌汁なんて同じ具材やお味噌を使ってるのにお母さんのと違う。
今まで「なんでだろう!」ってずっと思ってたんだけれど、最近気がついたことがあるんです。
それは「入っている愛情の違いだったんじゃないか!」って。
自分のためだけに作るのと、夫と子供のために、家族のために作るのとでは、たぶん母親の奥深い愛情のところで違うんじゃないかな?
私も今は旦那さんのために作っているけれど、それともまた違う母親の愛情の深さが味を変えているんじゃないかな?
それも、子供が小さなころから大人になるまで毎日作り続けているのだから、子供にとってそれは一番の料理人の味になるわけだし、お母さん自身も、家族のために毎日腕を磨いているのだから、どんどん家族好みの一流の料理人に成長してくるはず。
よくテレビ番組でお母様と奥様の味の対決で何も知らない息子さんが2人の料理を食べて「どちらを美味しいと思うか?」なんてやっているのを見るけれど、それは当然、母親の味を選ぶのが自然なことだと私は思う。
それは決して、奥様の手料理が美味しくないということではなくて。。
だって、母の味を子供の頃からずっと食べていて、その味で育ってきたんだから。子供の 細胞1つ1つが反応するんじゃないかな?なんて思うんです。勝手な想像ですが。。
そんなわけで、母の味にすることはできないけれど、母のミートソースをどうしても食べたいから、似た味を目指してまた作りたいと思います。