冬は必ず春となる

苦難にあっても信じきり祈りきることで必ず道は開かれる

父の葬儀

10月21日(月)、付け加えておくと、実家はこの日までの契約。

妹の家に行く前に郵便ポストをふさいだ。

実家とともにお父さんの命もあるのかな。

 

10月22日(火)、今日は月火の連休だ。

天皇即位の儀なので、病院に呼ばれても交通規制がありタクシーでは行けない。

朝早く行こうと思って早起きはしたが、また帰るに帰れない場合もある。

もしかしたら、夜中かもしれない。

考えて、家で待機をすることにした。

この時に朝から行っていたら、お父さんに最後会えたのだろう。。

 

お昼を食べて少しくつろいでいたところに電話が鳴った。

慌てて駅まで走り電車に乗り、電車の乗り換えも走り、着いた駅からも走り、バスを待ちバスで病院に行った。(駅から歩くよりも普通なら頻繁に来るバスに乗った方が早い)

今日に限ってバスが来るのが遅く感じた。

 

2時16分に兄から、もうダメだよとメールが来ていた。

着いたのが3時30分頃。

病院に着いたらやはりお父さんは冷たくなっていた。

昨日、お父さんはお別れに呼んでくれたんだと思っている。

 

兄弟3人が全員休みが合う日が無いのに、たまたまその日が休みで、その日にお父さんが亡くなった。

これはお父さんが日を選んでくれたに違いない。

 

天皇即位の儀、雨がやみ虹が出たそうで、不思議だとニュースに出ていたが、私はお父さんが天に上っていったのだと思っている。

解釈は自由でいいよね。

 

耳は最後まで機能していると言われているので話しかけた。

「お父さんお疲れ様でした」

看護師さんが着替えをさせてくれた。

とても穏やかな表情をしていた。

亡くなる瞬間は見ていないけれど、苦しい表情では全くなかった。

苦しまないように題目を上げていたので、お父さんは苦しまないで済んだのだろうか。

 

葬儀社に電話をして迎えに来てもらった。

兄が車に乗り、私たちは歩いて葬儀社に行った。

打ち合わせで、お母さんの時とほぼ同じ見積もりだった。

湯かんと直葬。家族のみで。

 

お母さんの時に気持ちよさそうだったので、また湯かんをお願いした。

 

お父さんの棺に入れる物はスーツ、帽子、甘いもの、お酒、お母さんの手元供養。

 

24日(木)、11時から湯かん。

お数珠を握って組んだ手の下にお母さんの手元供養を置いた。

スーツを着ているように乗せてもらう。

帽子を顔のわきに置いた。

 

湯かんが終わって近くの藍屋でみんなで食事をした。

お母さんの時にお父さんはみんなで食事をしたかったらしい、施設に入っていたのでなかなか時間の調整が難しく、葬儀の後はそのまま施設に送り届けてしまっていたから。

 

お父さんの言葉、みんなで食事をする方が亡くなった人が喜ぶって聞いたよ。

 

25日(金)、出棺の日。朝から台風並みの風と雨。

駅までタクシーを呼ぼうとしたが、何度かけても3件とも電話がつながらない。

仕方なくバス停まで歩きバスに乗る。

いつもは歩いて駅まで行くが、これではビショビショになる。

バス停でもかなり濡れた。

 

駅に着き、駅の近くのガストで昼食をとって時間まで待機することにした。

外は嵐のようだが店内は穏やかに時間が過ぎていく。

昼食をとってドリンクバーで飲み物を飲んでいるとあっという間に時間になり、店を出た。

結構、雨でぬれながら葬儀社に着いた。

お父さんにお線香をあげてお樒、みたらし団子、大福、日本酒、ピーナツ、お数珠、お経本を棺に入れた。

みんなでお経をあげた。

お母さんの時も思ったが、お父さんのために、家族みんなでお経をあげられるって良いなと思った。

顔をいっぱい触った。

お母さんの時もそうだったが、お父さんも頬が柔らかかった。

お母さんの時と同じで、とても自然な寝顔で穏やかな表情だ。

 

火葬場は新しく綺麗だった。

炉に入れる前にお父さんの顔をいっぱい触ってクリクリしていた。

生きていたら怒られるだろうが、最後の最後、もうお父さんの顔は触れないのだから。

それぞれジュースやお酒、お菓子を食べながら待つ。

やはり帰りのタクシーがなかなかつかまらないと葬儀社さんが困っていたが、なんとかつかまった。

タクシーのドライバーさんに妹の家の方を説明したが伝わらず、道路や近くの警察署などを言っても伝わらない。

妹は別のタクシーなので、どうしようかと思ったが、実家の近くなので実家の住所を伝えてなんとか到着。

まだ風雨がすごかった。

 

妹の家でお寿司を食べた。

お父さんも一緒に笑ってくれているといいな。

帰りは、雨がやんでいた。

お母さんの時は晴女だったから快晴だったけれど、まるで正反対の天気。

これはお父さんなのか?

でも、忘れられない日になった。

 

お父さんもお母さんも亡くなる日を子供たちのために、ちゃんと考えて日を選んでくれたと思っている。

お父さんは子供たちが全員仕事が休みの日にしてくれた。

前日に私にお別れをしてくれた。

実家が無くなったから、夜中、朝方では病院を出た後に、何時間も待機する私の居場所が無い。

お父さんは日中の時間を選んでくれた。

当日は間に合わなかったけれど、ニュースで虹の映像を見たときに、晴れやかなお父さんを感じた。

穏やかな寝顔で、苦しまなかったと信じている。

お父さんとお母さんの愛情は最高だった。

ありがとう。