前癌病変 ①
12月17日(火)にやっとK病院での経過観察を卒業できた。
5年前になると思う、その時は仕事とセミナーなどでだいぶ疲れていた時期だ。
健康診断、子宮がん検診、乳がん検診は毎年していたが、前の年に子宮がん検診をした時に先生から「子宮頸がんは若い人がなるから、今までならなかったから、もう検査しなくても良いんじゃないかと思うよ」と言われていた。
なので「今年はやらなくても良いのかな?どうしようかな?」と悩み、「先生に相談してみよう」と思って、いつもの近くのクリニックに行った。
先生に相談すると「やった方が良いかも」と言われ、検査を受けた。
数日後、結果を聞きに行くと陽性で、さらに詳しい検査をした。
その結果は結構悪いウィルスらしく、紹介状を書いてくれると言われた。
この時に前年に先生に言われたことを信じて検査を受けていなかったら大変なことになっていた。
検査を受けて良かった。
病院をどこにするか聞かれ、周辺の病院をいくつか言われた。
その中で一番大きいN病院を指定、紹介状を書いてもらい、予約を入れてもらった。
当日は旦那に付き添ってもらったが、予約時間をとうに過ぎても呼ばれない、かなりの時間が過ぎていく。
旦那が用事があるというし先に帰ってもらった。
ネットで調べると精密検査はちょっと怖い感じで1人では不安だったが仕方がない。
呼ばれると若い男の先生だった。
検査をしたが、痛みは無くホッとした。
翌週くらいに結果を聞きに行った。
ここの病院はかなり待つ、早朝、受付が始まる前から椅子に座って並んで待っているが、予約時間など関係なしにものすごく待たされる。
それにいつ呼ばれるかわからない。
だから、待っている人たちはなんとなく、みんな厳しい緊張した顔をしている。
やっと呼ばれて旦那と行くと先生が結果を見て、「手術になりますので、最初に予約を取ってしまいますね」と。。
旦那はこんな大変な病気とは思っていなかったのだろう「えっ!」とびっくりしていた。
なるべく早い手術日の予約を入れ、それから検査結果、病気の説明、手術方法、書類などの説明をされた。
病名は子宮高度異形成、子宮頸がんの前癌病変で、軽度、中度、高度とあるが、私の場合はすでに高度までいっていた。
毎年、子宮がん検査をしていたにもかかわらず、高度になってやっと発見されたのだ。
つまり今は上皮の上だけの病変だが、それが中に入り込んでしまえば癌となる。
大きな手術が必要になり、後遺症も出やすい。全身に癌細胞をまき散らしたりもする。
手術日までに進行したらどうしよう!という不安はあった。
お題目をあげた。
入院の日には、旦那には仕事をしてもらって1人で入院することにした。
大きな荷物は駅まで旦那が付き添って運んでくれた。
朝早くから行ったのに、その日も散々待たされ入院時間はお昼を過ぎ、部屋に入れてもらったのが午後の1時30分ころになっていた。
同じ日に入院の人が気分が悪くなっていた人も見かけた。
入院するほどの具合が悪い人を、何時間も待たせる病院に違和感があった。
翌日は手術なので、説明を受けたり検査を受けたりしていた。
手術当日、旦那が来てくれた。
準備をして、ストレッチャーに乗り、いよいよ手術室へ。
背中から麻酔をされた。足の感覚は無くなったが意識がはっきりしている。
大概の人は寝てしまうらしい(笑)
意識がある分、作業がわかって怖いかと思ったら、大丈夫だった。
工場のような手術室で、工場での作業のような手術だった(笑)
1日に3~4人くらいの手術があったらしい。
私は2番目でストレッチャーが集中治療室なのか?に次々と運ばれてきた。
お隣の人が痛みを訴えて痛み止めをお願いしていたが私は大丈夫だった。
しばらくして看護師さんに連れられて部屋に歩いて戻った。
先生が夕方に来て、手術の説明かなにかしてくれたのでお礼を言った。
「明日、退院前の検査をしますが、お昼は食べますか?」と聞かれた。
「食べずに早く帰りたければ、早朝に検査しますよ」と言うことだった。
1人での退院だから体力のあるうちに帰りたい。
早朝の検査でお願いした。
朝、寝ているうちに起こされ、検査をした。
看護師さんに「お昼は食べますか?」と言われ「要りません」と断った。
なのに、清算の用紙がこない。お昼を過ぎ、みんなは食事を終えているのにこない。
退院まで待たされたのだ。
清算の用紙がやっと来て1階で清算し戻ってきても、点滴用の針とチューブを外してくれない。時間ばかりが経っていく。
着替えようとしたが無理だったので、さすがにナースステーションに行き「もう、とっくに清算も終えているので取ってもらって良いですか?」と言い、取ってもらって着替え、体重をはかりお礼を言って病院を出てきた。
お腹もすいているし、なんだか空しかった。