前癌病変③
セカンドオピニオンは時間が決まっている。
かなりお高めの値段になっていて、決まった時間を過ぎたら追加料金が発生するシステムだ。
やったことが無いからかなり不安があったので、別の病院もう1つの候補があったのだが、そこの病院の中に癌相談室と言うのがあったので、そこにセカンドオピニオンの相談をしようと電話をした。
「セカンドオピニオンは先生も慣れているので大丈夫です」と言われただけで、あまり親身に相談に乗ってくれなかったので、そこの病院にセカンドオピニオンをするのはやめたのだ。
K病院にセカンドオピニオン当日。
かなり緊張していたが、病院の方々が優しかったのと先生までがニコニコしている先生で小さなことまでとても聞きやすかった。
これまでの経緯を自分なりに説明し子宮を取る場合の手術法を聞く。
開腹以外に2つの方法があり、その違いがよく分からなかったのだが、図を描いて説明してくれた。
今の状態も説明してくれて、やっと自分の身体がどんな状態なのかわかった。
子宮を取るということは、それだけ身体に負担を与えることになるから、今の段階で考えなくても良いのではないか、と説明された。
今度、高度異形成になった時に、どういう治療をしたらよいのか?と聞くと「手術はせずに焼く方法があるから、私ならそちらをお勧めします。」みたいな治療法を言われた。
「最後にN病院の先生にお手紙を書くから持って行ってくださいね」と言われ退室。
廊下で待っているとお手紙を渡され、お礼を言った。
病院の方にもお礼を言い、清算をして帰宅した。
後日、N病院の検査結果の時にお手紙を渡し、「K病院の手術法で手術をしたいから転院したいので、紹介状をお願いします」というと「また書くの?」と言われた。
もう我儘患者に見られているのだから、自分の命だから、自分の考え通りにいかせてもらいます。
数日後、受付に言われた時間に紹介状を取りに行くと預かっていないという。
それから何時間も待っても呼ばれない。
受付に言うと「F先生に書いてもらいます」と言う。
これまた知らない先生だった(笑)
K病院はパネルがあって次に呼ばれる患者の番号が出る。
だから、それが出るまではトイレにも行ける。
看護師さんが来て「セカンドオピニオンした先生が普通は担当になるんですけれど、その先生が金曜日なんですよ。どうしますか?今回は別の先生にお願いしますか?」と聞きに来た。
「金曜日は仕事がある曜日なので、今日お願いしたいのです」と言う話をして検査をしてもらったが、やはり先生から「セカンドオピニオンをした〇〇先生に担当してもらった方が良い」と言われ、次回から金曜日に行くことにした。
どうせなら、あの詳しく説明してくれたニコニコ笑顔の先生が安心できる。
ここの病院は予約時間でたいたい診てもらえる。
前の病院は10時に予約したとしても2時半とか3時とか夕方近くになることも多かった。
「先生が手術が入ってしまって午後に来るのでお昼を食べてきてください。午後一番に呼びますから」と言われて昼食をとり戻ってきても、さらに何時間も待って、結局別の先生に診てもらったりしていた。
この病院は朝一番で予約を入れたら、だいたいその時間に診てもらえる。
だから患者が穏やかな顔をしている。
待合の空気が全然違う。
金曜日に結果を聞きに行くと、あの笑顔で迎えてくれた。
結果はやはり中程度だった。
でも、安心感がある。
毎回同じ先生が、ちゃんとわかるように説明してくれるだけで安心だった。
精神的にも安定して病気も良い方向に行った。
中程度が少しすると低度になり、それが消えた。
それと共に検査方法もパンチで取る方法ではなく細胞診だけになった。
検査の感覚も3か月から半年になり1年になった。
そして今回、とうとう卒業することが出来た。
たぶん前の病院にいたら精神的に参ってしまって、病状もどんどん悪くなっていた気がする。
嫌な顔をされようが、自分の身体は自分が守らなければ!
自分を通して良かった。
セカンドオピニオンはした方が良い!テレビの健康番組で偉い先生が言っていたが、現実は病院や先生のプライドがあるのかもしれない。。と言うことを知った。
それと、癌治療をすると転院するのは難しいということを知った。
癌の治療をするなら、しっかり情報を集めて考えてどこの病院にしたら良いのか考え、自分で納得して決めた方が良いと思う。
自分の病気では毎日泣いていた。
夜になると体が疲れるのかすごく悲しくなるので、好きなアーティストの曲を一曲聴いて心を静め、早めに寝ていた。
毎日、お題目を真剣にあげて情報収集し、考え、行動していた。
泣いてばかりだった私が、いつしか覚悟を決め自分の命を守るために全力を尽くそうと思った。
同じ1時間なら、泣いて過ごすより笑って過ごした方が良い。
後悔のないように考え全力で動く。
お題目を上げることにより、自分の中の考えがまとまり、力が出て行動できた。
大変な経験だったけれど無駄ではない、成長できたと思っている。
そして、この経験があったからこそ、親の介護も乗り越えられたと思っている。
親の介護も、私や兄弟が成長するのに必要だった。貴重な経験だったと思っている。