冬は必ず春となる

苦難にあっても信じきり祈りきることで必ず道は開かれる

入院後の母

施設を出て療養型病院に入院し、3か月以上が経ちました。

 

母がもともと持っていた病気、認知症、これがきっかけで特養に入所したのですが、

施設を出て療養型病院に入院した当時、認知症がかなり進んでしまっていました。

 

そして施設を出なくてはならなくなった原因の病気、「尿閉」による慢性尿路感染症

尿閉」も認知症が進んだことによって現れた病状です。

 

それでも急性期病院に入院するまで、施設ではよくお喋りしていたし、よく笑っていた母でした。

それが、尿閉、尿路感染症の治療のために急性期病院に入院したことにより、ベッドに縛られたままの状態で毎日過ごすことを余儀なくされ、それで認知症が進んでしまったのです。

それも入院したからと言って尿閉が治るわけではなく、寝たきりで歩けなくなるし、

バルンで車椅子の状態になり、認知症も進むという、家族はなんともやりきれない悲しい気持ちでいっぱいになっていたのでした。

退院後は施設の嘱託医から処方された認知症の薬が強すぎて、今度はその調整のために

また急性期病院に入院になり。

こんなことを繰り返し、療養型病院に入院した当時の母は無表情で、あまり話もしない、家族の顔もわからない状態でした。

 

それが、ここの療養型病院で認知症の集中ケアをしてくださったおかげで、

よく喋るようになったし、表情も少し戻ったのです。

 

そして認知症が良くなったからか、自分でおしっこをすることが出来るようになり、

バルンが取れたのです。

つまり膀胱が収縮し、尿閉が治ったということですね。

もう一生、バルンで、尿の管を外せないと持っていたのでびっくりしました。

 

あの施設に居たら、きっともっと認知症が進んでいたと思うし、バルンも取れない状態だったと思います。

 

この間、この病院に入院して初めて39.8度の高熱を出しましたが、病院なのですぐに

対処してもらえました。

家族も仕事を休まずに済みました。

安心してお任せできる、この病院に入って本当に良かったです。

 

最初の急性期病院で「抗生剤はもう効く薬が無くなってきている」と言われていましたから、いつまで薬で対応できるかわかりませんし、認知症もまた進んでいくでしょうけれど、最期までこの病院で穏やかに安心して楽しく過ごしてほしいです。

 

ここの病院は毎日、歌を歌ったりクイズをしたり、体操をしたり、毎月イベントも開催していて、とても楽しそうです。

お正月に鏡餅をもって移っている写真、2月の節分では、鬼になり金棒を持っている写真が送られてきました。

先日、行った日は午後からお花見をする日だったようです。

熱が下がったばかりだから、外に出れたかどうかわかりませんが、とにかくいろいろ

催しものがあって、家族としても有り難いです。

 

面会に行って歌の時間になると母と一緒に歌を歌って帰ってきます。

そういう時間を持てることに感謝しています。

 

 

父の方もいろいろあり、今度はそのことで今、私たち子供は必死で動いています。

祈って行動していけば必ず良い方向に進んでいくと信じています。